Nikon Z 7 + NIKKOR Z 50mm f1.8 S
台湾観光(出張)の続きです。
30歳代から台湾には数十回出張で訪ねていますが、初めて観光をしました。前エントリーの十份の帰り道に有名な九份に寄り道した訳です。九份には是非立ち寄りたかったのです。映画『悲情城市』(侯孝賢監督)のロケ地を見学したかった訳です。そのためには陽が沈んだ有名な観光商店街よりも、人々が住む街を撮りたかったのですが、ガイドさん曰く住居なので難しいと言われ諦めました。オーバーツーリズムになってはいけませんからね。このエントリーの表題が嘘になってしまいお詫び致します。
と言うことで、また(その1)と(その2)に分けてエントリーします。今日のその1は、夕暮れまでのストリート写真と、買い漁った飲茶、夕暮れまで時間潰しにお茶を頂きながら、持ち込んだ飲茶をたべた写真です。最後までお読み頂ければ嬉しいです。
目次
九份について
台湾 九份
その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。
しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。
観光地化
1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市』(侯孝賢監督)のロケ地となったことにより、再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった。
ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。また、世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。宮崎駿のアニメ映画『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったほかに台湾でも知られ、「神隠少女 湯婆婆的湯屋」の看板がモデルとされる茶屋のそばに掲げられている。一方、スタジオジブリや宮崎により、これは公式に否定されている。
出典元:Wikipediaから抜粋
九份のストリート
▼街の造りは金鉱時代のままだそうですが、当時は24時間体制で採掘していたので、商店街はもっと賑やかだったそうです。今は日本人率がとても高いです。
九份のグルメ
▼タロ芋の善哉(冷)下にかき氷で上に暖かい善哉が載っていました。
▼肉圓(バーワン) 米粉とタピオカ粉の外皮に椎茸や肉団子を包んだものです。千と千尋のお父さんが豚になる前に食べていたぷにゅぷにゅしたお菓子です。
▼魚丸湯 勧めらるままに食べましたが魚のすり身の団子スープです。味は塩味でもっちりして食べやすかった。
▼里芋のシュークリーム パラパラポロポロするが実に美味い。日本でも食べたい。
▼大根もち 正にモチモチして美味しいけれど、醤油ソースがモロ醤油でショッパイ。
九份のストリート(つづき)
お茶屋で夜を待ちます
▼お茶は凍頂烏龍茶と東方美人茶を頂きました。お茶は待つ時間と、楽しむ時間が良いですね。窓からの眺望も素敵でした。1時間半くらいはゆっくりしました。
▼窓からの景色です。山が綺麗です。
▼これも、窓からの眺望。海の先が野柳地質公園(後日掲載予定)だと思います。
今日はこの辺で。(その2)は2日後。最後までお付き合い頂き有難う御座いました。
Sub Blog 写真中心のブログです。宜しければご覧下さい。