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【Z 50 & NIKKOR Z DX 16-50mm ・宮城県山元町】震災機構 中浜小学校 January 2021

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ZED_2260 Nikon Z 50 + NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR

 

もう少しで東日本大震災から10年になります。
9年前は千葉県船橋市の会社に居り、大きな揺れを受け工場が被災したことを覚えています。
どういう運命なのか、仙台で10年目の年を迎えることなりました。

寒い日曜日でしたが、たくさんある宮城県の震災遺構の一つを訪ねてきました。
仙台のTVでは震災を語り継承している方々のニュースを拝見していました。
こちらの遺構にも語り部さんがおりました。
そして、語り部の皆さんのお話を聞き、その話のほとんどを知らないことに驚きました。

震災の本当にほんの少しだけ触れてきました。

最後までお付き合いをお願いします。

 

Nikon Z 50 + NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR

ニコンにしては珍しく Z 7Ⅱ と併売しています。センサーは同じですので、買い変えるならレンズの方でしょ。 Z50mm f/1.2S は良さそうですね。

 

 

 

昭和39年の開校以来地域と歩み、平成元年に建て変えられた中浜小学校の現在の姿です。90名の児童と教職員、保護者の命を守り抜いた校舎です。

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この掲揚ポールは津波の浸水深を示しています。10mの津波はこんな高さなんですよ。

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掲揚ポール脇の津波石碑です。昭和8年の昭和三陸地震津波の後に建てられた碑でした。この地は津波の経験のある土地でした。 

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校舎側から掲揚ポール方向を。この校庭と校舎は過去の津波の経験から2m嵩上げされていたのです。 

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校舎2階屋根下の津波の到達高さの印です。 

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被災した時計台 

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津波発生時に地域の人が避難しやすい様に設けられた外階段。準備対策を考慮した校舎でした。

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引き潮で内側に折れは逝った職員玄関の扉 

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外階段と職員室のマド 

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校舎入り口 (震災当時からはかなり片付けられています)

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モダンな造りの校舎だったことが分かりますね。丸柱はやはり津波対策用の形状として設計されたものだそうです。 

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天井の板は無くなり軽量鉄骨がぶら下がっています。 

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多目的ホールです。ある程度の瓦礫は片付いていますが凄まじさは分かります。 

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構内には無いものがたくさんあります。 

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多目的ホールを二階から。 

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木製の床は多少の風化はしているそうです… 

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多目的ホールから外の墓地後を望みました。お墓はすべて流れ墓石だらけだったそうです。 

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図工室です。 

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中庭がある素敵な校舎だったはずです。当初の津波警報は高さ6mで10分で到達予想だったそうです。 

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給食室です。給食センター方式ではなかったそうです。 

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一階の教室から海の方向を見ています。海まで約400mです。

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内装が剥がれ、コンクリート剥き出しの保健室 

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左が校長室、右が職員室です。校庭側からの引波で全部がなくなったそうです。 

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6m10分の予報を聞き2階へ避難。実は被災前の3月9日の地震と津波警報を受け職員会議で防災減災の教育と避難マニュアルの再確認が行われていたそうです。なんと言う事実。避難先の最寄り中学校までは20分。6m10分の警報が2階避難を選択させたそうです。 

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こちらが階段上の二階ホールです。壁に青い印があります。

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結果的に10mの津波は此処まで来たわけです。 

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二階ホール避難後に津波予想6mが10mに変っています。もう此処には居れません。 

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二階の図書室。校舎や地域の模型がありました。模型は周囲をアクリルで囲ってあり、それが津波の高さを表しています。ほぼ浸水しているのが分かります。

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グランドのフェンスの辺りが掲揚ポールの位置です。2mの嵩上げが分かります。嵩上げが2m、一階天井まで4m、二階天井まで4m。合計10m。2mの嵩上げが効いています。 

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校舎屋上の構造です。屋上は屋根に囲まれており、この屋根裏に全員が避難したそうです。 

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校舎の正面です。写真左の体育館は取り壊されて今はありません。冒頭で倒れた時計台がありましたが、この模型にもあります。 

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資料室奥にある隠し階段。津波予想10m。もし予想を超える津波なら二度と降りて来られない決死の判断だったそうです。

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屋上からみた津波10mの浸水高さです。 

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屋上から海の方向を見ます。児童達は屋根裏に避難しましたので実際の津波は見せていないそうです。 

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屋上設置の写真です。左の写真は衝撃です。校舎を超える水しぶきと水煙が写っています。 

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海側校舎の下方向 

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上の写真の位置の津波の写真です。よくぞ撮っていたものです。 

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避難経路に従い外階段から外へ。 極寒の中でブルーシートや毛布、学園祭のグッズなので暖をとりながら一夜を過ごしたそうです。体育館に保管していた緊急時毛布はなんと2日前に学校に届き、ビニールに入っていたそうです。濡れなかったのですね。いろんな幸運があったのです。

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2m嵩上げの校庭は水が引き瓦礫が無かったそうでヘリコプターが着陸できたそうですが、これも嵩上げのお陰だったのでしょう。先人達の知恵が功を奏したと言えます。 

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海側の校舎に巻き付いた鉄骨です。学校のものではありません。津波の威力の凄まじいこと。 

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街があり墓地があったそうです。実際の津波到達は一時間後、避難想定の中学校には避難できた訳ですが、校長と教職員の判断は結果90名の命を守った訳です。

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地震発生から津波が引くまで3時間強。氷点下の中で一夜を過ごした90名を避難の経路をそのままを見学しました。
最後までお読み頂きありがとうございました。機会があればいろんな人に訪ねてほしい遺構です。

 

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