LEICA Q2
先日の登米市の教育資料館の続きです。
トヨマとトメ。『続日本紀』に「宝亀5年陸奥国遠山村」の記述があり、国語学者大槻文彦氏は著書『復軒雑纂』(1902年)の中で「続日本紀の宝亀5(744)年10月の条に見えた、蝦夷の巣窟陸奥国遠山村とあるが、後の登米郡の地にあたる。遠山村はもとより蝦夷語の当て字であろうが、遠山は「トヨマ」の同音である。」と述べており、このことから「遠山」が「トヨマ」の語源であるとされている。と書かれています。
水沢県庁記念館の案内係さんによると、「トヨマ」を「トメ」と呼ぶようになったのは、明治の初めこの町が登米県・水沢県の県庁の所在地となって地名の呼び方もわからない県庁職員が多数往来したので”トメ”と呼ぶようになったのであろうと説明してくれました。
最後までお付き合いをお願いします。
先日の登米市のエントリー ⬇︎
明治22年町制施行によって登米町が発足。
町には、教育資料館(国重文:旧登米高等尋常小学校)や警察資料館(県重文:旧登米警察署庁舎)のハイカラな洋風建築物、廃藩置県当時に置かれた水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)や重厚な蔵造りの商家など、明治を偲ばせる建物が現存している。また、少し横道に入ると藩政時代の武家屋敷や史跡が随所に残っており当時の面影を今に伝えている。それらの町並みから登米町は「みやぎの明治村」と呼ばれている。
▼雨上がりの、この路地が素敵でした。
みやぎの明治村 水沢県庁記念館
みやぎの明治村 登米懐古館
▼建築家 隈研吾氏設計です。
みやぎの明治村 伝統芸能伝承館 「森舞台」
▼こちらも建築家 隈研吾氏設計
みやぎの明治村 教育資料館
▼裏側からの撮影ですが、旧小学校の造りは芸術的です。
最後までお読み頂きありがとうございました。みやぎの明治村へ、しばらく続きます。
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