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仙台就業中の食いしん坊、元千葉県民オヤジの写真とカメラと酒麺飯クロニクル

【台湾・台中】台中の日本統治時代の建物を巡る(その1) September 2019

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EKD_5789-Edit  Nikon Z 7 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S

台湾観光(出張)の続きです。

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この日は朝6時30分の新幹線で台中の仕事場へ移動。フロントでルームキーを預けると「行ってらっしゃい!」とお弁当を持たせてくれました。サービスだそうです。タクシーを6時で予約していたからなのですが、新幹線内で有り難く頂きました。

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ホテル支給のお弁当は温かいライスバーガーと珈琲とフルーツ

午前中はみっちり打ち合わせを行い、午後は夜の会食までフリーです。ランチにかこつけて観光に出掛けました。台中も何度も訪問していますが、観光は初めてです。若かりし頃の自分の生真面目さが、この歳になって嫌気が刺します。もっと遊んでおけば良かったです。

この出張では台中は3度訪ねました。また、分けて紹介します。最後までお読み頂ければ嬉しいです。 

 

目次

台中市政府庁舎(旧台中州庁)

▼日本統治時代の建物。赤れんがと花崗岩が使われていて見応えがあります。現在は台中市の環境保護局と都市発展局が入居してりる市庁舎です。平日でしたが、身なりが仕事風だったこともあり、守衛に了解を得て、回廊を撮らせて貰いました。中庭が手入れされており、赤レンガの壁とのコントラストが見事でした。

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▲日本人建築家、森山松之助の設計。森山松之助は湾総督府営繕課在任中、台湾の多くの官庁建築を手がけています。

▼森山松之助の設計の建物をご存知ない方の為にご紹介。新宿御苑の一風変わった建築物、旧御凉亭(台湾閣)のリンクを貼ります。ビンナン建築と同じ様式の本格的中国風建築として日本に現存している数少ない例です。

www.kanko-shinjuku.jp

 

旧台中市役所

▼台中市政府庁舎(旧台中州庁)の真向かいにある旧台中市役所です。日本銀行本店、東京駅、台中駅などを手掛けた辰野金吾の辰野式で建設されています。また、台中で初めて鉄筋コンクリート建物でバッロック様式。日本統治時代の行政官所でした。 

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▼建設当時は平面的には回その字の二階建てだったそうですが、上の写真の様にその一辺しか現存していません。正面入口は二層吹き抜けのプロスタイル形式で、2本の柱が支えるギリシャ建築の様式で壮観でした。

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▼CAFE 1911の服務台(屈んで電話をする女性の頭が少し見えます)

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▼『台中市役所文創園区』のCAFE 1911になっています。掲示物によると、市役所が設立された1911年(明治44年/民國元年)に由来したネーミングらしいです。日本食が食べられます。

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宮原眼科

▼旧市役所から徒歩圏内の宮原眼科。ランチを此処で摂ると言うのでビックリしましたが、中身はリノベートされ、お土産ショップやアイス屋さん、2階にはレストランがありました。

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▼宮原眼科は1927年日本統治時代、台中最大の眼科として日本人の宮原武熊医師によって開院していたそうです。戦後は帰国し、その後政府によって台中市衛生院として再利用されましたが衛生院も移転の為閉鎖。99年の台湾中部大地震や08年の台風で荒廃。現在は廃材等も利用してリノベートされ営業しています。建物は日本式の様で、近代的な融合をしていました。

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▼ハリーポッターの図書館の様に見えますね。

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▼カラスミチャーハンなんですが、どうしてピラミッド型にするのかなぁ。味気なかったです。

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台中駅(旧駅舎)

▼前回来た時は工事中でした。この旧駅舎は二代目、日本統治時代の1917年に建設された赤レンガの歴史的建造物になっています。駅舎は東京駅舎を手がけた辰野金吾の流れを汲む「辰野式」。何度も増改築で手を加えてますが、こうして後世に残そうと言う思想が素晴らしい。

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▼旧駅舎の向こうに見えるのが、2016年10月に高架化された新駅舎。前回来た時は旧駅舎のすぐ前にバスターミナルやタクシー乗り場があり、喧騒が懐かしいです。

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▼台湾鉄道の台中の表玄関である駅です。西部幹線の中心どの列車も此処台中駅を通過します。台湾高速鉄道の新台中駅は離れた所にあります。私達はあとでタクシーで移動しました。

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▼ちょっと寄り道に南下します。台北は北上方向です。

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▼鉄夫の同僚が在来線乗車を希望しまして…。

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彰化駅から彰化扇形庫へ

▼彰化駅には鐵道の基点があるそうです。

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▼台湾らしい店舗とそのアーケード。バイクが一杯で真っ直ぐに歩けません。

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▼何やら目的地の看板が上空にありました。

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▼結構あるてトウチャコ。

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▼彰化扇形庫です。観光化していませんので、台湾の鉄夫・鉄子と一緒にノンビリ見学出来ます。

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▼此処も台湾の日本統治時代の産業遺産の一つです。写真家中井精也氏のNHKの番組で、此処を訪ねていたのを現地で思い出しました。元々台湾には彰化と台北・新竹・高雄港・嘉義の5箇所に扇形庫がありましたが、彰化を除く他の4箇所は1994年までに解体された。本施設も1995年に台鉄が解体を決めたそうですが、ファンの要望で免れたそうです。彰化県の県定古蹟に指定されています。

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▼煙突は蒸気機関車時代の名残です。煙突の下は今は塞がれていました。

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▼長閑です。此処に座ってスマフォをして良いんでしょうか?

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▲ディーゼル機関車の使用が激減し、この施設は見学メインになった様です。

 

鹿港独特の小道 九曲巷

▼鹿港は、かつて栄えた台湾の独特の雰囲気のある街です。鹿港を代表するくねくねと曲がりくねった道である「九曲巷」を訪ねました。って、まったく眼中に無かったのですが、同僚が「フォトジェニックですよ!」と言うので足を伸ばしました。かなり疲れています。台中から一時間掛かります。看板も雰囲気あります。

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▼鹿港は強風が吹き荒れる地域で、それを防ぐべくくねくねと曲がりくねった九曲巷が出来たそうです。

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▼この先はかなり狭く、人一人が通るのが精一杯です。

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▼この先に犬がいて、予防接種はしていないだろうし、後退りして逃げてきました。

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台湾高速鉄道の台中駅から台北へ

▼台湾新幹線の台中駅ホーム。安全柵はありません。夕陽が綺麗でした。

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台北に戻り会食

▼当たり前の様に日本食です。夜はほとんど日本食だった気がします。

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今日はこの辺で。写真たくさんの物見遊山のエントリーになってしまいました。台湾2日目でした。最後までお付き合い頂き有難う御座いました。

 

 

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